田中益三
今回の中国旅行は、大連の日本語科の学生の前で一席ぶつというもので、あとは気ままな旅だった。それに、中国語教師の友人(日本人)という良き案内人にも恵まれていた。
しかし、である。滞在時期の設定は私の希望を容れたものだったが、偶然にもそれは中国の国恥記念日と称される、「9.18(満洲事変勃発の日)」の時期にあたっていた。反日デモが中国各地、一〇〇あまりの都市で展開された、まさにその時だった。九月十七日、明日はどうやら反日デモがあるらしいという情報が伝わり、レストランの店主が、「あなた達、明日は出歩かない方がいいよ」というので、当日、緊張が走った。
それでも昼は日本食レストランで寿司を食べたりしたが、店は閑散としていたし、日本人ということでタクシーの乗車拒否に遭い、街角の物売りから販売を拒絶された。ご承知のとおり、尖閣列島国有化(9.11)に伴い、この日に向けて反日ムードは高まっていた。
だが、大連では組織的デモは行われなかったし、何の騒ぎもなく終わり、この日の緊張はようやく溶けた。
「アカシアの大連」――と言っても、今はオフ・シーズンなので、アカシアは花を付けていない。並木道には、アカシアの古木が、ひっそりとした街路樹でございます、という風情でグリーンの葉を広げ、その下をクルマが飛び交っていた。「大連に来たのは二十一年前になる」と言うと、中国旅行社の婁(ルウ)さんは「私は、まだ子供だった!」と目を見張り、笑った。
大連は、ロシア帝国が花の都パリを模し、円形広場を中心に放射状に拡がる「セントラル・システム」を採用して創った街。老(古い)大連のイメージは、街づくりの中心となった中山(ちゅうざん)広場(大広場)とその周辺にあり、石造建築が幾つも残されている。
私が六日間宿泊した「大連賓館」(旧ヤマトホテル)は、その代表的な歴史的建造物。今年が創業一〇〇年ということで、貴賓室や大広間が特別公開されている。行ってみると内部は贅を凝らしたゴージャスな雰囲気である。満洲国皇帝「溥儀(ふぎ)」と皇后「婉容(えんよう)」が泊った特別室も見せてくれたが、カメラを構えると、キリリとした美人職員に「ここは禁止拍照!」(撮影禁止!)と怒られてしまった。
中山(ちゅうざん)広場には、かつて毛沢東の銅像があり、その当時はクルマが少なく、流しのタクシーもメーターがなくて値段も交渉次第だった。今ではメーターを付けているが、ラッシュ時で混むのが予想される遠方だったら、メーター料金のほかに余分に請求されることもあるが、良いタクシー・ドライバーに恵まれ、そういうことはなかった。
この中山(ちゅうざん)広場のロータリーは右側通行、円心をグルグルとクルマがよぎる。歩行者を見てもクルマは停まるという習慣がないので、これを渡るのは危険がいっぱい! こちらは脱出を余儀なくされた小動物といった感じで、思い切って渡るのだが、中国民衆は慣れたもので、さっさと渡っていく。
広場の多くの歴史的建造物(旧大連市役所等々)の背後には高層ビルが聳え、昔と趣を変えているが、路地を入れば、昔ながらの便利店(雑貨屋)があり、果物の物売り声が懐かしい。いちばん変わったと思われたのは、中国の人びとの明るい表情とカラフルな服装だった。それに以前来たときは、ペットは衛生的によくないので禁止。一切その姿をみなかったが、今はあちこちにペットがいて心が和む。
大連で反日デモが起きなかった理由のひとつに、昨夏の大規模デモが生じたことへの当局の恐れ、デモへの警戒が作用しているという。だが、最も大きな理由は、一九九〇年代以来、多くの日本企業を招致し、経済発展をもたらしたことによる。今もパナソニック、東芝、トステムなど多くの企業が大連で活動している。
そして、遠く遡(さかのぼ)れば、かつての「満洲国」時代(中国では「偽満(ウェイマン)」時代と呼ぶ)に、たとえば、Oセメント会社は、終戦と同時に中国政府に管理されたものの、のちに中国と合弁会社を設立し、その工場は今も活かされている。戦後、中国東北に残った日本人技術者たちが、その地に技術を伝えたことは紛れもない事実だった。
今年は日中国交回復四〇年であるのに、友好関係にヒビが入るのは残念。だが、その四〇年の間、日本は技術援助を惜しまなかった。大連の人びとはじかに日本人と接し、「日本」というものにかなりの理解がある。中国はGDPにおいて日本を追い抜き、繁栄をむかえているが、日本製品やポップ・カルチャーは「クールジャパン」と呼んで、それに魅力を感じているようだ。
中国のダイナミックな経済発展は、金州(きんしゅう)開発区を見学することによって分かった。大きな高台に登って見晴らすと三六〇度のパノラマのなかに高層ビルが林立している。壮大な風景だ。大連湾を望んで新しい港が建設され、これからの貿易の中心になっていくとのこと。
大連在住の写真家R氏は、この夏、金州(きんしゅう)で「双彩虹(シュアンツアイホン)」(二重の虹)を見たと話してくれた。虹をつかむ勢い。それが今日の大連だ。大連は虹を見失わないで! 日本はまた新しい虹を追おう! 久しぶりに、母親が好きだったダニー・ケイの映画『虹を掴む男』でも観てみるか!
おまけ
・料理店でのエピソード。
僕ら二人が料理店で美味なる牛肉ラーメンを食べていたら、隣に座った中国人の女子大生に声をかけられた。「あなた方は日本人ですか?」「お話伺ってありがとうございました」と、たどたどしいながらも、しっかりとした日本語をしゃべる。ところが、帰り際、挨拶のつもりで一言。「じゃあ、な!」。………。敬語抜きの表現に、店を出てから友人と笑い合ったが、微笑ましいかぎりだった。