宮下今日子
中国の大連市街を歩いていると、「たうんまっぷ大連」という、詳細な手書き地図が、ホテルや街角のお店で売っているという。観光客目当てのひと品になっているようだが、日本円にして数百円くらい。しかしこれは、かなりのお買い得品だ。
こうした軽い言い方は慎むべきなのだが、というのも、この地図に描かれた大連市街は、昭和十三年から十五年頃の大連で、日本の植民地支配そのままを図面にしたものだからだ。
地図には、鉄道、駅、大広場、放射状に伸びた大通り、商店街などが詳細に書かれ、店名、学校名、企業名、病院名などが日本語で書き込まれている。この地図を持って歩けば、かつての大連がどうだったかがわかる。それにしても一体、誰が何の目的で作ったのだろう。
紹介した地図は、大連市街全体のごく一部で、「連鎖街」という繁華街のひとつ。余談だが、かつて井上ひさし氏がここを舞台に「連鎖街のひとびと」という作品を書いている。
連鎖街の意味は、共同ビルに二〇〇軒近い商店が入り、まるで商店が連鎖しているように見えることからきている。連鎖街の中央には、「銀座通」という名の大通りがはしり、その両脇にびっしりと店舗名が書き込まれている。例えば、扶桑旅館、丸紅呉服店、カドヤ玩具店、香川家具店、神田書房、大阪屋号書店、ワゴー果物店、内田洋行などの文字が読み取れる。内田洋行は、現在でも日本にある企業だし、洋行は貿易の意味で、当時、貿易会社に多くつけられていた。その他、カフェ、おでん、そば、パンなど商店街ならではの文字が見られる。
興味深いのは、三船敏郎の家と説明書きのある「スター写真館」の文字。そのすぐ近くには、水戸黄門「この紋所が眼に入らぬか」初代格さん役の俳優、横内正の家と注がある「横内洋品店」。
三船敏郎は、青島で生まれ、その後、幼稚園から兵隊に行くまで大連で育った。「小学校もいくつ行ったかな。伏見台、常盤……。兵隊に入る前、一度は日本を見ておけと、父から百円もらって旅行するまで、内地を知らなかった。大連なら隅から隅まで知っている」とあるところに書いている。ちなみに、大連中学の後輩には山田洋次がいた。
遠藤周作も大連で三歳から十歳まで過ごし、大広場小学校(「たうんまっぷ上では、大連の中心である大広場のすぐ脇に記されている)に通ったという。外地育ちの影響は後の彼の生き方に影響を与えたと回想している。
「アカシアの大連」で芥川賞を受賞した清岡卓行は、大連生れ。朝日小学校から大連一中に通った経験をもつ。朝日小学校は、たうんまっぷ上では、満鉄本社(清岡の父が勤務していた)の近くに位置している。
大連だけでなく、満洲で生れ、育った著名人は多い。小沢征爾、赤塚不二夫、加藤登紀子、宝田明……。挙げればきりがないほどだが、森繁久弥が、敗戦の時、長春(統治時代は新京といった。満洲国の首都として日本が新しくつくった都の意味。)の放送局のアナウンサーをしていたことは比較的有名だ。しかし森繁は、ソ連軍の侵攻に遭遇し、その恐ろしい体験を語っている。そして後の代表作「屋根の上のヴァイオリン弾き」にその影響を残していると言われている。
大連ばかりでなく、満洲で生れ、育った日本人は想像以上に多い。現代でも、満洲生れだと言う人に会うことも多く、うちの伯父や祖父母が満洲生れだ、という若者もいる。
しかし、彼ら体験者は、戦後、満洲について語ることは禁じられてきたのだ。しかも、それが許されたのは、戦後三十年近くたってからであった。
この「たうんまっぷ大連」は、そうした解禁を待った一九八八年に発行されたものだった。発起人は大連二中で育った日本人Aさんとその仲間たち。同窓会を立ち上げると、すぐに昔の思い出話しとなり、あそこに何があった……という話から、みんなの記憶が積み上げられた。その楽しげな光景は目に浮かぶようだ。仲間の一人には中国人のBさんもいた。大連の日本人学校には、裕福な中国人や創氏改名を強いられた韓国人も通っており、まっぷ制作は、いわば日中の共同作業だった。
戦後、満洲は植民地的侵略であり、満洲に行ったものは悪者であるかのように扱われ、彼らの思いは封印された。その封印が解けはじめたのは、一九七二年の日中国交正常化だ。地下水脈のようにひっそりしていた彼らの思い出は、同窓会の結成とともに一挙に吹き出した。自分たちが生きた青春時代を長い間封印され、その思いがようやく語り始められた時に、この詳細で、情熱のこもった手書きのタウンマップが完成されたのだろう。
それにしても、この地図は詳細を極めている。三〇年も経っているのに、その記憶の鮮明さ、これほどまでの大連へのこだわりが不思議に思える。一人でなく、仲間(同窓生)が集まったからこそ出来たのだろう。同窓会を愛する人なら理解できることだ。彼らにとって、大連は故郷だったが、異国の土地、他人の土地、まして侵略の土地であったことには目をつぶってしまったのか。レンガや石造建築物だらけの、異国情緒溢れる大連の街に魅せられてしまったのだろう。