宮下今日子
ながらく中断していた弊社の出版活動が再開することになった。 そんな折り、日本橋三越ギャラリー*に展示されたある作品に触発された。
そこにはこんな詩が添えてあった。
泛海(はんかい)
舟は、いのりである。
若舟(ばかふに)は、大水(おほみ)に泛(うか)ぶ。
西南の風は、渦を巻いて天上から駆け下りる。
簀桁の中で揺すられる繊維は、海にたゆたう私であった。
紙を漉く姿は、世界に泛ぶ私であった。
ふたつの島が、心に深く染み渡る。
いにしえから伝わるいのりは、消えゆくとされる言葉で歌われていた。
誰そ彼時、風が吹き荒ぶ花漣の海岸に出た。
目を細めても、三十里先にうかぶ島の姿は望めなかった。
旧正月から桜の頃まで、旅に出た。台湾で、バナナから繊維を採った。
与那国の糸芭蕉に合わせ、手練りの墨で染め、紙を漉いた。
黒潮にへだたれていても、ふたつの島には、ちかしい匂いがした。
空がそれほど荒れ狂おうが、雲はただ流れてゆく。
月明かりのもと、三万里にたゆたう若舟。
大水に泛ぶ舟、生きたあかしといのり。
(山﨑萌子作)
台湾と与那国島。
それは、最も近いところに位置する二つの国。いや、与那国島は日本国ではあるが、沖縄独自の伝統文化が色濃く残る“国”(与那国)。
そして作者は、この二つの狭間に舟を浮かべる。
作者は、与那国に渡り、簀桁(すけた)という手漉き和紙をつくる伝統用具で、紙漉きを重ねた。揺れる水のあわいから、いつの間にかしっかりと結ばれた繊維たちが、一つの形を現わす。その不思議な力に惹き込まれたのだろうか。
彼女は、台湾のバナナの繊維と、与那国の糸芭蕉を組み合わせ、手塗りの墨で一つの紙を漉く。結びつき、絡まり合った繊維は、パリッとした一つの紙になる。そこに、台湾と沖縄の風景を独特の手法で焼き付けた。
しかし、展示された作品の色彩は、なぜか黒々としていた。私にはそれが奇異に映った。それは、沖縄の色鮮やかな織物の色彩とは大きくかけ離れていたからだ。ギャラリーの壁に掛けられた紙は、風のない空間のはずが、時にわずかにたゆたった。視る者に何かを話しかけているように、生きていた。
作者は海を“泛海”(はんかい)と詠む。人が見向きもしない遠い辺境の海、の意味だろうか。そこに、ちっぽけな“舟”がただ浮かんでいる。しかしそれは“大水”に、大海に浮かび、“世界”を覗き込む。そして、若い作者はなにかを祈る。
ふたつの島には、ちかしい匂いがしたと詠むが、しかし、台湾と与那国の真ん中には黒潮が流れている。まるで二つを分断するような強い力が働いているのだ。台湾は日本の近代史の中では、日本が植民地支配していた国。ふたつの島には分断の歴史がある
しかし、作者は、ただ一人、ちっぽけな舟からいのる。ふたつの島の分断を乗り越えようと、祈るのだ。生活びとは国の線引きを越えて、ただただ近い島々を往還する。越境は模索され、追求されている
*2024年7月3日~15日。日本橋三越本店6階美術コンテンポラリーギャラリー
山﨑萌子
与那国島と東京を拠点に活動。沖縄の伝統的な琉球紙の技術を用いた平面・立体作品・インスタレーションの制作を通して、表現の可能性を追求する。
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